KISS

1973年1月にアメリカで結成された、ハードロック/ヘヴィメタルバンド。特徴的な白塗りの化粧と奇抜な衣装により、ヴィジュアル系バンドの原点となった。

ジーン・シモンズ(Gene Simmons)


ジーン・シモンズ(Gene Simmons) - ベース、リードボーカル


キッスのベーシスト。ボーカルも担当。他にもプロデューサーや俳優としても活動。派手な化粧で有名だったキッスのなかでも、その長い舌を出して動かすしぐさや、火を吹く、血を吐く、など特に目立つ存在。身長185cm

結婚はしていないが、シャノン・トゥイード(w:Shannon Tweed、プレイメイト、女優)との間に子供が二人いる。


<経歴>
1949年、イスラエルでハンガリー系ユダヤ人の子として生まれる。本名、ハイム・ヴィッツ(Chaim Witz)。

1958年、父親と離別した母親と共にニューヨークに移住。ラストネームを母方の姓のクライン(Klein)に変える。

1962年ChaimからGeneに改名。1970年からRichmond Collegeの教育課程で学び、卒業後はマンハッタンの小学校で教壇に立つ。

1972年それまで活動していたバンドをポール・スタンレーと共に脱退し、その後KISSを結成。

以後、主にKISSのベース&ボーカルとして活動。ほかに、KISSのプロデュースやレコードレーベル経営、俳優業も手がける。

キッスの主な権利関係は彼が管理しているといわれている。プロフェッショナルとしての意識が非常に強い。

日本のバンドEZOのデビュー・アルバムをプロデュースしたこともある。

2008年日本公開の映画デトロイト・メタル・シティーにジャック・イル・ダーク役で出演。


<名言>
「俺たちが、どこから来たのかは、重要じゃない。どこへ行くのかが、重要なんだ。」(バンド育成を通して、シモンズと不良少年少女との心の交流を描くイギリス チャンネル4 TV番組「Rock School」での、本人の一言)
「タバコの代わりに乳首を吸い、アルコールの代わりにラヴ・ジュースを飲む」



キッス・ファースト 地獄からの使者 Kiss


1974年 キッス・ファースト 地獄からの使者 Kiss

キッス・ファースト 地獄からの使者 (KISS) とは、1974年に発売されたキッスのデビューアルバムである。原題は「KISS」。

アルバムジャケットは、ビートルズのデビューアルバムのパロディ。本作の発売に先駆け、アメリカ国内で小規模なツアーを行った。発売当初は、ホラー的なジャケットが影響して色物系バンドとして扱われ、売上は今一つだったが、2年後にプラチナ・アルバムを記録した。短期間な上に低予算で製作された為、サウンド面に関しては「音がスカスカで迫力が無い」という評価が多い。収録曲の殆どは、現在もライヴで演奏されている。

<収録曲>
1. ストラッター(STRUTTER) 作詞/作曲:ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ
リードヴォーカルはスタンレー。

2. ナッシング・トゥ・ルーズ(NOTHIN' TO LOSE) 作詞/作曲:ジーン・シモンズ
リードヴォーカルはシモンズ。

3. ファイヤーハウス(FIREHOUSE) 作詞/作曲:ポール・スタンレー
リードヴォーカルはスタンレー。ライヴでは最後にシモンズが火を噴く姿が印象的。初期の頃は、スタンレーは消防士のメットを被って演奏していた。

4. コールド・ジン(COLD GIN) 作詞/作曲:エース・フレーリー
この音源ではシモンズ単独のヴォーカルだが、フレーリー復帰期は2番目からフレーリーがヴォーカルを執っていた。

5. レット・ミー・ノウ(LET ME KNOW)
リードヴォーカルはスタンレーとシモンズ。ごく初期のライブで演奏されていた。

6. キッシン・タイム(KISSIN' TIME) 作詞/作曲:Mann、Lowe
ボーカルはスタンレー、シモンズ、クリス。プロモーション用に短期間で作曲したもので、メンバー内の評価は低く、ライヴで演奏される事は滅多に無い。初回プレス時には収録されておらず、追加分から収録された。

7. ジュース(DEUCE) 作詞/作曲:ジーン・シモンズ
リードヴォーカルはジーン。初期のライヴではオープニングで演奏される事が多かった。本作収録版は、ライヴ版と最もかけ離れた印象を与える。

8. キッスのテーマ(LOVE THEME FROM KISS) 作詞/作曲:ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ、エース・フレーリー、ピーター・クリス
インスト曲。ごく初期のライヴで演奏され、この曲に続いて「アクロバット(Acrobat)」が演奏されていた。ちなみに「アクロバット」は未発表曲扱いである(後にCDボックス・セットと、DVD「キッソロジー」に収録された)。

9. 10万年の彼方(100,000 YEARS) 作詞/作曲:ポール・スタンレー、ジーン・シモンズ
リードヴォーカルはスタンレー。初期のライヴではクリスのドラムソロが入る(現在はポールによる煽り)。

10. ブラック・ダイヤモンド(BLACK DIAMOND) 作詞/作曲:ポール・スタンレー
イントロのヴォーカルはスタンレー、本編のヴォーカルはクリス。歴代のキッスのドラマーは必ず歌う。70年代のTV出演時の演奏直後に、ピーターがドラムを破壊したことも。



ステージネーム


一部のメンバーを除き、ステージネームと設定が与えられている。

* DEMON(ジーン・シモンズ)/地獄からやって来た悪魔という設定。獣の咆哮を揚げ、空を飛び、炎を吐く。
* STAR CHILD(ポール・スタンレー)/愛の戦士という設定。眼から光線を発する。
* SPACE MAN(エース・フレーリー、トミー・セイヤー)/ジェンダル星出身の宇宙人という設定。両腕の指先から光線を発する。SPACE ACEと表記される事もある。
* CATMAN(ピーター・クリス、エリック・シンガー、エディー・キャノン)/猫の怪人という設定。両腕の鋭い爪が武器。1998年にファンタジーコミック化した際は、敵として登場。パンダやタヌキと誤認されるケースが多い。
* FOX(エリック・カー)/狐の怪人という設定以外の詳細は不明。
* ANKH WARRIOR(ヴィニー・ヴィンセント)/エジプトの戦士という設定以外の詳細は不明。魔術師という設定も考えられていた。

新たなメンバーを入れる際は、「髪が長いか」「髭は剃っているか」「身長が6フィート以上あるか」など厳しい審査があるという(マーティー・フリードマン談)。


来歴



○レインボー - ウィキッド・レスター

1970年にニューヨークを拠点として、ジーン・シモンズとポール・スタンレーが中心となったレインボー(RAINBOW)というフォークロックバンドが誕生。しかし、2回目のライブを行った後に同名のバンドがいることを知った為、バンド名をウィキッド・レスター(WICKED LESTER)に改名。当初はこのバンドでメジャーデビューが考えられたが、メンバーが次々と脱退した上に契約先のエピック・レコードに契約拒否されてしまい、ウィキッド・レスター名義のライブも2回のみしか行われなかった。末期頃にはドラマーとしてピーター・クリスが加入するが、バンド継続が困難となり、音楽性をストレートなロックへの路線変更を決意した(この頃から他のバンドとの差別化を図るためにメンバー全員で、顔全体に白塗りメイクをしていた)。


○キッスへ改名 - メジャーデビュー
ジーンとポールの2人は、バンドメンバー募集の為にオーディションを行い、リードギタリストとしてエース・フレーリーが加入し、1973年にバンド名をキッス(KISS)へ改名した。クリスが以前在籍していたバンド「リップス」からヒントを得たと言われている。最初は"Fuck"というバンド名を考えていたらしいが、さすがにそれは止めたようだ。1月30日に初ライブを行う。当初はただの白塗りだったメイクも、やがて現在の形に定着する。ジーンは、とあるサーカス団員から火吹きを教わり、ライヴのパフォーマンスとして取り入れた(同年の年末ライヴにて火吹きを失敗し、自らの髪を燃やしてしまい、新聞で「ベーシストは頭に火をつけて演奏」と取り上げられた)。また、ピーターはTV出演でドラムセットを破壊、ポールはギターを破壊する強烈なパフォーマンスも披露した(ポールのパフォーマンスは現在も行われている)。メジャーデビュー契約先は当時無名の新社だったカサブランカに決定、意気込んでレコーディング作業が行われる。

そして1974年、アルバム『キッス・ファースト 地獄からの使者(Kiss)』でデビュー。強烈なインパクトを与えるメンバー写真のジャケットこそ注目を受けたが、当初の人気は奮わなかった。続くアルバム『地獄のさけび(Hotter Than Hell)』も、同様の結果だった。

○大ブレイクと黄金期
自身のアルバムの売り上げに悩んだKISSであるが、ライヴでは徐々に力を付け始め、大型ツアーであるDRESSED TO KILL TOURを行う。1975年発売のアルバム『地獄への接吻(Dressed to Kill)』収録の「激しい愛を(C'mon And Love Me)」が、シングルカットされていないにも拘らずデトロイトのラジオ局で度々放送され、当地での人気が爆発する。当時、小さな田舎町をツアーで回っていたメンバーは、デトロイトでの人気を知るや、それ以降のツアーを全てキャンセル、当地での単独コンサートを行うことに決定。

そしてデトロイト・コボホールにおけるコンサートを収録したライヴアルバム『キッス・ライブ 地獄の狂獣(Alive!)』が、2枚組というハンディがありながら全米チャート9位に入るヒットを記録し、一躍人気バンドとなる。日本では、これまでのオリジナルアルバムを一斉発売し、主要マーケットの一つとなった。

翌年の1976年、決定版とも言えるアルバム『地獄の軍団(Destroyer)』発売。同アルバムからのシングルカット作品「デトロイト・ロック・シティ(Detroit Rock City)」、「ベス(Beth)」が大ヒットする。初の世界ツアーでもあるDESTROYER TOURは、前年のツアーをも凌駕する観客動員数を記録した。

同年、アルバム『地獄のロックファイアー(Rock And Roll Over)』発売。同アルバムからのシングルカット作品である「ハード・ラック・ウーマン(Hard Luck Woman)」がヒットする。かつて、ボブ・シーガーの前座を担当していたキッスが立場を逆転し、ボブ・シーガーがキッスの前座をするという現象まで発生した。

1977年に大阪厚生年金会館を皮切りに、SNAKE ATTACK TOURというタイトルで初来日を果たす。オープニング・アクトにはデビュー間もないBOW WOWが起用されている。初来日時のツアー・パンフレットには、演奏される曲目があらかじめ印刷されており、アンコールも含めて綿密に計画されたパッケージ・ショウであることが裏打ちされていた。4月2日の日本武道館公演ではNHKによる撮影が行われ、後に「ヤング・ミュージック・ショウ」で放映された。アルバム『ラブ・ガン(Love Gun)』、1977年のライヴとスタジオ新作を5曲収録した『アライブ2(Aliv II)』発売。『ラブ・ガン』は予約で100万枚を突破し、オリジナル作品歴代最大の売上を記録する。『アライブ2』のシングルカットは、フレーリーが歌う「ロケット・ライド」がヒット。この頃になるとキッスは全米を代表するバンドとなり、彼らの血液を赤インクに混ぜたものを使用したコミックまで発行された。

しかし、同時期からバンド方針の確執も起こっていた。バンドのフロントマンであり「デトロイト・ロック・シティ」といった代表曲を作り上げたポール・スタンレー、火吹きや吐血等の視覚効果で注目を浴びたジーン・シモンズ、「ベス」や「ハード・ラック・ウーマン」といった大ヒット曲を歌ったピーター・クリス(「ハード・ラック・ウーマン」はポールの曲ではあるが)、独特のギタープレイで人気を集めたエース・フレーリーの4人が、自分こそがバンドを成功へ導いたと主張し合っていたという。成功により大金を手にした彼らはしだいに怠慢になってしまい、特にエースとピーターは高価な酒やドラッグに金を使うようになり後に結果として脱退という形となってしまった。

日本においては1970年代後半を代表するバンドとしてエアロスミス、クイーンと共に「ミュージック・ライフ」誌などで特集が組まれ大人気を獲得した。そしてエースの発案により、ソロアルバム製作のために暫くの活動休止を宣言する。

1978年に各メンバーのソロアルバムが同時発売。エースのソロアルバム収録の、ラス・バラードのカヴァー曲「ニューヨーク・グルーヴ(NEW YORK GROOVE)」がヒット。アルバム自体もエースのアルバムが最もヒットする。しかし、これはメンバーの確執を表していた。ポールは後に、「ここでソロアルバムを発表して落ち着かなければキッスは確実に解散していた」と回顧している。 (これは間違い。売り上げ順にジーン、エース、ポール、ピーター)

リミックスを施した初のベストアルバムである、『ダブル・プラチナム(Double Platinum)』発売。NBCより映画「KISS MEETS THE PHANTOM OF THE PARK(地獄の復活)」が製作される。MEGO社より彼らのドールが発売。遊園地「KISS WORLD」の建設。最早ロックバンドというよりは、キャラクターと化していた。

そして1979年、2年ぶりのオリジナルアルバム『地獄からの脱出(Dynasty)』発売。ロックブームは下火となり、ディスコブームだった当時の流行を意識してデスモンド・チャイルドと共作となるシングルカット作品「ラヴィン・ユー・ベイビー(I Was Made For Lovin' You)」が世界中で大ヒットするも、DYNASTY TOURではチケットの売り上げが以前程のものではなかった。やがて、キッス黄金期は終焉を迎える。


○混乱の1980年代 - 第二黄金期
1980年、ジーンとの人間関係の亀裂からピーターが脱退。その直後に、アルバム『仮面の正体(Unmasked)』製作開始(同アルバム収録曲「シャンディ」のPVには出演)。彼の脱退は、アルバム発売から1週間後に報じられる。ピーターの脱退に、ファンは騒然となった。前回と同様、ポップスブームに乗っかったアルバム自体の評価も悪く、KISSの人気は低迷期に突入。暫くは3人だけで活動していたが、オーディションの結果、後任の2代目ドラマーとしてエリック・カーが加入する。

アメリカ本国でのUNMASKED TOURは以前ほどの勢いは全く見られず、失敗。主要マーケットであるアメリカと日本での人気は、完全に下火へ向かっていた。しかし、オーストラリアとブラジルとヨーロッパでは逆に大ヒットを記録する。

翌年の1981年、新アルバムの製作を開始する。当初はこれまでと同様のロックであったが、製作途中からマネージャーの意思によりコンセプトアルバムへ路線を変更する。ジーンが以前から暖めていた構想を使って、歴代唯一のコンセプトアルバム『〜エルダー〜 魔界大決戦』(Music From“The Elder)を発売。内容は、これまでに見られなかったプログレッシブ系となり、ロック色は非常に薄くなっている。だが、売り上げは歴代最低を記録することになる。この頃から、エースはバンドに失望を感じる様になり、新人のエリックもバンドの方針に疑問を示したという。さらにツアーも行われなかった。この作品は元々『The Elder』というジーン原案の映画のために楽曲を書き下ろしていたが、曲が完成した直後に映画が製作中止となり、曲を無駄にしたくないとマネージャーとジーンは考え、映画の本来のストーリーに沿ったコンセプト・アルバムにしたという。他の3人はまったく乗り気では無く、リリースに反対したがジーンに押し切られる形で発売が決まった。

1982年、ヘヴィメタルへの方向性を打ち出したアルバム『暗黒の神話(Creatures Of The Night)』発売。このアルバムのジャケット写真と収録曲の「勇士の叫び(I Love It Loud)」のPV、同年発売の日本とオーストラリア限定ベスト盤『キッス・キラーズ(Kiss Killers)』にはエースの姿はあるが、レコーディングには一切関わっておらず、エースはジャケット写真を撮影とTV出演した直後に脱退していた。大半の曲は、スタジオメンバーとして起用したメンバーの一人であるヴィニー・ヴィンセント(この頃はヴィンセント・クサノと名乗っていた)がリードギターを担当している。ヴィニーの腕はメンバーに認められてはいたが、彼は正式メンバーにはされず、あくまでエースの代役としてツアーに参加した。本作での作詞作曲やレコーディングなどで貢献度が高かったヴィニーだが、彼の存在はジーンとポールを大いに悩ませる事となる。一方の宣伝効果は虚しく、アルバムの売り上げは低かった。なお米盤の『暗黒の神話(Creatures Of The Night)』は1985年に再発されたものから素顔をフィーチャーしたものにジャケットが差し替えられた(ブルース・キューリックが写っているが、無論本作には一切関わっていない。曲順の変更、リミックスがされている。)。また、この頃からライヴ演奏のテンポが速くなる。

翌年の1983年、エースの脱退が公に報じられ、ヴィニー・ヴィンセントが2代目リードギタリストとして正式に加入。アメリカ本国や日本での人気が低迷していた中、反対に人気が最絶頂だったブラジルのリオ公演にて、歴代最大の観客動員数である13万人を記録した。

そして、これまで秘密としていた素顔を見せる決意をし、LAメタルブームに乗って製作したアルバム『地獄の回想(Lick It Up)』発売。この心機一転やアルバムの内容が話題を呼び、再び上昇気流に乗り始めた。しかし、協調性の無い性格と人間関係の縺れからヴィニーが解雇される。だが、後任が決まらない事やツアーの関係から、再度雇用する事となる。

そしてツアーの終了後の1984年、ヴィニーが脱退(解雇)。そこで、スタンレーの知り合いを辿ってマーク・セント・ジョンを3代目リードギタリストとして急遽加入させ、『アニマライズ』(Animalize)を完成させ、100万枚の売り上げを記録する(1980年代最大のヒット)。しかし、ツアーの直前にマークは病気にかかりギターを弾くことが出来なくなったため、マークの代役は後に4代目リードギタリストとなるブルース・キューリックが担当。かつて、『キッス・ライブ 地獄の狂獣(Alive!)』をレコーディングしたデトロイト・コボホールでライヴ撮影が行われ、TVやラジオで放送した後、『アニマライズ・ライブ(ANIMALIZE LIVE UNCENSORDE)』というタイトルでライヴビデオが発売される。このライブでも、ブルースがステージに上がっていた。その一方、ツアーの初日からステージに上がれなかったマークは3公演のみ参加した後、僅か8ヶ月の在籍という短さで脱退する(前述のライヴビデオの撮影日に、事実上交代の形で脱退した)。 また、マークが参加した3公演の内の一つはポール、ブルース、そしてマークのトリプルギター編成で演奏している。

1985年、ブルース・キューリックが正式加入し、アルバム『アサイラム(Asylum)』発売。久々にデスモンド・チャイルドと共作した本作もヒット作となる。そして、80年代はこのメンバーで定着した。

1987年、メタル色を若干薄めてシンセサイザーを導入した作品『クレイジー・ナイト(Crazy Nights)』発売。予想通りに大ヒットし、プラチナム・アルバムを記録した。

翌1988年、エリック・カーのヴォーカルで録り直した1976年の大ヒット曲「ベス」と新曲を2曲収めたベストアルバム 『グレイテスト・キッス(Smashes, Thrashes & Hits)』発売。名古屋市公会堂にて、10年振りの来日公演も果たす。

1989年、原点回帰を目標にしたストレートなロックンロール・アルバム『ホット・イン・ザ・シェイド(Hot In The Shade)』発売。しかしツアー観客動員数は若干減り、盛り返した人気は一段落した。その一方、エリックが悪性腫瘍の病に倒れてしまう。


○エリック・カーの死と音楽シーンへの”逆襲”

オルタナロックブームに乗り、音楽シーンへの逆襲の意を込めて、元メンバーのヴィニーとの共作アルバム『リヴェンジ(Revenge)』の製作を開始。エリックの容態は一時回復に向かったため、収録曲「ゴッド・ゲイヴ・ロックンロール・トゥ・ユー(アージェントのカヴァー曲)」のバッキングヴォーカルとPV撮影に参加したが、最終的には脳内出血で昏睡状態に陥ってしまい、1991年11月、再び目を覚ます事無く他界してしまう(41歳)。

だが、この悲劇を乗り越えエリック・シンガー(元ブラック・サバスやバッドランズのドラマーであり、ポールのソロライヴ・ツアーメンバーでもあった)が3代目ドラマーとして加入し、『リヴェンジ』は完成を迎え、翌1992年に発売。数年振りに、ビルボードにランクインする。

1993年、REVENGE TOURのライヴを収録した『アライヴ3(Alive III)』発売。

1994年、KISS MY ASS TOURを行う。それと同時に、トビュートアルバム『キッス・マイ・アス(Kiss My Ass)』が発表される。このトリビュートでは、エクストリームやYOSHIKIが参加している。


○オリジナルメンバー再集結
ニルヴァーナに代表されたグランジロックブームに乗り、『カーニヴァル・オブ・ソウルズ(Carnival Of Souls)』の製作を開始。

この頃になると、1970年代からのファンたちから「オリジナルメンバーの再結成は無いのか」と問われるようになる。だが、雑誌で「そのつもりはない」とコメントしたり、あるテレビ局から100万ドルでオリジナルメンバーでの出演を依頼されるも即座に断ったりと、事実上オリジナルメンバーでの再結成は無いと思われた。

しかし、1995年にファン達のコンベンション・KISS EXPOで小規模なアンプラグド・ツアーを行っていた中に、「MTVアンプラグド」にてエースとピーターを含めたラインナップでライヴ演奏を行ったことにより、オリジナルメンバーでの再結成が決定する。だが、それによりブルースとエリック・シンガーはやむを得ず強制脱退を迫られる(エリックは後に復帰したが、ブルースは完全に離脱した)。そのため、『カーニヴァル・オブ・ソウルズ』はお蔵入りとなってしまった。同年、その模様を収めたライブアルバムとライヴビデオ『停電 (地獄の再会) 0 Kiss アンプラグド(Kiss Unplugged)』発売。

1996年、13年振りにメイクを施して行った大規模な世界的ツアー・ALIVE/WORLD WIDE 96-97開始。1997年には東京ドームにて、オリジナルメンバーでの19年振りの来日ツアーも果たす。だが、大阪公演にてジーンが風邪で喉を痛めてしまい、彼のヴォーカル曲のほぼ全てがセットリストから外されるというハプニングも勃発。ピーターは初期の頃のドラミングのキレは無くなり、エースの動きも鈍くなってしまったが、オリジナルメンバーによるツアーは大きな話題を発し、大成功を収めて終了した。80〜90年代のテンポを上げたライヴ演奏は、この再結成及びメイク復活以降は演奏のテンポを落とす。

当時出回っていたブートレグの対策として、お蔵入りとなっていた『カーニヴァル・オブ・ソウルズ』発売。しかし、グランジロックブームは既に去っていたために売り上げは低く、マニアぐらいにしか注目されなかった。

ALIVE/WORLD WIDE 96-97の終了後、仕切り直しとしてLOST CITIES TOURを開始(前回のツアーで行けなかった土地だけのツアー)。コロンバス公演のリハーサル中、ピーターが腕の不調を訴え、ドクターストップを宣告される。この日のライヴは、エディー・キャノンというドラマーが一夜限りの代役(CATMANのメイクも施した)を務めた。

オリジナルメンバーでのアルバム発売が望まれる中、1998年に『サイコ・サーカス(Psycho Circus)』発売。全米初登場3位にランクインした。そして、同アルバム名を掲げたPSYCHO CIRCUS TOURは無事成功を収めた。


○オリジナルメンバーの再離脱 - 現在
21世紀突入直前の2000年、解散を宣言。解散ツアー・THE FAREWELL TOUR 2000-2001開始。しかし、ツアーが中盤に差し掛かった頃にピーターが再び脱退。そのために暫くツアーは中断となったが、ある日ポールが車を車検に出した時に従業員が「30周年ツアーはするのか?」と聞いてきた事がキッカケとなり、解散宣言を撤回し永久活動を宣言する。そして、元メンバーのエリック・シンガーが復帰。ツアーを無事敢行した。

2001年、貴重なデモやライブ音源を含めた500セット限定の豪華ボックスセット『地獄のギター・ケース(The Box Set)』発売。ウィキッド・レスターのお蔵入りデモや、キッス名義での初ライブ(未発表曲である「アクロバット(Acrobat)」のみの収録)、その他デモが多数収録されており、マニア感涙のコレクターズアイテムとなった。同時に廉価版である「地獄のシガー・ボックス」も5000セット限定で発売。

ソルトレイクシティオリンピックが行われた2002年、閉会式に突如飛び入り、「ロックンロール・オール・ナイト」を演奏。このステージを最後に、エースが再び脱退する。元ブラック・アンド・ブルー(バンド)のトミー・セイヤー(1989 年頃から、裏方やツアーマネージャーとして活動、アルバム『ホット・イン・ザ・シェイド』の製作と『サイコ・サーカス』のレコーディングにも参加。また KISSのトリビュートバンドにいた経緯もあり、再結成の際に一線から離れていたエースにギターのレクチャーをしたり、ツアー中も不調だったエースがいつギターを弾けなくなっても良いよう衣装にメイク姿で袖で待機していたという)が、エースの代役として出演したのをきっかけにして、5代目リードギタリストに抜擢。そして同時期にピーターが再び復帰し、エリック・シンガーはまたも脱退。

2003年、世界ツアー・WORLD DOMINATION TOURを行う。さらに、ツアーの前半はRCKSIMUS MAXIMS TOURというツアー名でエアロスミスと対バンとなった。 メルボルン公演ではクラシック・オーケストラと合同し、キッス・シンフォニーと銘打って生のシンフォニック・ハードロックライヴを見せつけた。この模様は、『アライヴ4 〜地獄の交響曲〜(Alive IV)』というタイトルでCDとDVDに収められる。余談ではあるが、この年の10月16日にLAのクラブで発砲事件が発生。偶然居合わせた元メンバーのブルースが脚を撃たれ、頭部にも掠り傷を負ってしまう。幸いにも、彼の命に別状は無かった。

2004年、ピーターが3度目の脱退を発表し、エリック・シンガーが再び復帰。世界ツアー・ROCK THE NATION TOURを行い、ワシントンDC公演とLAフォーラム公演を収録したライヴDVD『地獄の狂宴〜ロック・ザ・ネイション・ライヴ!』発売。このツアーでは「彼女」や「すべての愛を」(双方、『地獄への接吻』収録曲)といった、演奏される事が無くなった曲を多く披露したこともあり、昔からのファンを喜ばせた。メルボルン公演では再びキッス・シンフォニーを披露、この公演ではメイク復活後にセットリストから外された「真夜中の使者(『暗黒の神話』収録曲)』と、これまで1度も演奏していない「ステイト・オブ・ロックンロール(『サイコ・サーカス』収録曲)」を披露した。

2006年、ファンが200人集まり、ロック殿堂博物館前でKISSのロック殿堂入を要求するデモが行われる。十分な資格と功績のあるKISSが殿堂に招かれないことに不満らしく、ボードを掲げて30分の抗議活動を行なった。殿堂博物館によれば、こうしたデモは初めてのことだという。同年7月23 日、日本独占ツアー・RISING SUN TOUR最終公演の2日間に、ウドー・ミュージック・フェスティバルに出演。しかし、ツアー最終日であるフジ・スピードウェイ公演での集客数は、これまでの来日公演を大きく下回ることになる。この模様は、スカイ・パーフェクトTVで放送された(客席後部は殆ど映されていない)。翌年までに掛けて、1973年から2000年までの貴重なライヴ映像を収めたKISSOLOGYシリーズ(日本未発売)を3巻に分けて展開する。

2007年、5公演のみのアメリカツアー・HIT 'N TUN TOURを行う。その最終公演であるカルフォルニア公演当日のリハーサル中に、ポールの心拍数が突如通常の2倍に上がってしまい病院に搬送される。だが、この日のライブは代役を起用したりキャンセルしたりせず、ポールを除く3人で決行し(ポール不在のライブは初であり、KISS史上最大のハプニングライブとなった)、演奏曲はジーンとエリック・シンガーで歌える曲をチョイスした。ポールは、「この借りはいつか必ず返すよ」とコメントを残した。同年4月5 日、元メンバーのマークが脳出血で他界(51歳)。

2008年、結成35周年ツアー・ALIVE/35 WORLD TOUR開始。ツアー前半では、2代目”宇宙人”こと2代目エース・フレーリーであるトミーが「ショック・ミー(『ラブ・ガン』収録曲。原曲はエースのヴォーカル曲)」で初めてリードヴォーカルを執る。同年、日本先行で新録ベスト盤『地獄烈伝』発売。

2009年、11年ぶりのスタジオアルバムである『ソニック・ブーム(Sonic Boom)』を10月6日に発売、バンド史上最高位となる全米初登場2位を記録した。